君主制の遺産② ポツダム勅令

 前回の記事に引き続き、今回も現代日本国および空想国会に残された君主制の遺物について、簡単に纏めていこう。今回のテーマはズバリ、「ポツダム勅令」である。

 「ポツダム勅令」とは、その名に冠する通り、1945年7月に出され、太平洋戦争終結への重要なキーとなったポツダム宣言に関連して発布された法令群のことで、より正確を期するならば「「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(昭和20年勅令第542号)」、通称「ポツダム緊急勅令」に基づき、日本政府の手で発布・制定された諸法律、諸命令のうち旧大日本帝国憲法に定めるところの「勅令」に該当する物を指す。

 従って、「勅令」以外の「政令」なども多分に含まれており、それらを包括する総称としては「ポツダム命令」とする語が充てられている。つまり、「ポツダム勅令」とは「ポツダム命令」の一種である、と言うことだ。

 今回扱うテーマは「命令」の中に含まれる「勅令」の中から、更に「現代でも有効な物」である。今後筆者が断りなく「勅令」または「ポツダム勅令」の語を使用した場合は、そのような意味合いであり、他の政令や「緊急勅令」とは別のものであることにご留意願いたい。

 さて、ではいよいよ本体の解説に入りたいところだが、その前にまずは旧憲法下に定められた政府命令の形式である「勅令」(及び緊急勅令)とはそも何かという点について、簡単に説明する必要があるだろう。

 勅令、の語については世間一般に浸透している意味として、「天皇・君主の命令」と言うものがあるが、その認識は正解である。しかし、近代の明治憲法下における認識は、単にそれだけでは足りない。

 大日本帝国憲法には、次のような条文がある。

「天皇ハ法律ヲ執行スル爲ニ又ハ公共ノ安寧󠄀秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福󠄁ヲ增進󠄁スル爲ニ必要ナル命令ヲ發シ又ハ發セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ變更スルコトヲ得ス」(帝国憲法第9条)

 これは、天皇の命令についてその意義と効力を規定した条文であるが、これによれば天皇は、「法律を執行する為」、または「公共の安寧秩序を保持し、臣民の幸福を増進する為」、「必要な命令を発し、又は発せさせることができる」とある。また、1886年に規定された勅令である公式令には、

「皇室ノ大事ヲ宣誥シ及大權ノ施行ニ關スル勅旨ヲ宣誥スルハ別段ノ形式ニ依ルモノヲ除クノ外詔書ヲ以テス」

「詔書ニハ親署ノ後御璽ヲ鈐シ其ノ皇室ノ大事ニ關スルモノニハ宮內大臣年月日ヲ記入シ內閣總理大臣ト俱ニ之ニ副署ス其ノ大權ノ施行ニ關スルモノニハ內閣總理大臣年月日ヲ記入シ之ニ副署シ又ハ他ノ國務各大臣ト俱ニ之ニ副署ス」(公式令第1条)

 として、天皇大権の行使に関する勅令の形式と手続について定められている。

 つまりは、明治憲法下における勅令とは、決して単なる天皇の指示命令、ましてや専権による独裁命令ではなく、法によって形式効力が厳格に規定された政治上の命令の一つであり、現在の政令と同じ立場を占める重要なものだったのである。

 さて、続いては緊急勅令について解説する。これもまた勅令の一つとして憲法に規定があるもので、帝国憲法第8条に次のように定められている。

「1. 天皇ハ公共ノ安全󠄁ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避󠄁クル爲緊急󠄁ノ必要ニ由リ帝󠄁國議會閉會ノ場合ニ於󠄁テ法律ニ代ルヘキ敕令ヲ發ス」(帝国憲法第8條第1項)

「2. 此ノ勅令ハ次ノ會期ニ於テ帝國議會ニ提出スヘシ若議會ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ將來ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公󠄁布スヘシ」(同条第2項)

 これは、簡単に説明すれば、帝国議会が閉会しているときに、何某かの緊急事態が生じた際、天皇が「法律に代わる勅令」を発することができる(但し、あくまで緊急の措置であり、次期帝国議会の承諾が無ければその効力は失われる、との留保がつく)、と言う規定である。今日において緊急勅令とは、この規定に基づいた勅令と、もう一つ帝国憲法第70条に規定された財政上の緊急処分(わかりやすく言うと、何か緊急に予算が必要な際に議会が開かれていない時、政府は勅令によって手立てを講じることができた)の為に出された勅令との二種類を指す言葉として使われている。

 なお、先程筆者は勅令について、「法により手続きや権限が規定されている」と述べたが、緊急勅令もその対象内である。戦前において勅令の発布には、先述の公式令にある通り内閣総理大臣と国務大臣の副署を要したが、緊急勅令の場合はそれだけでなく原則として枢密院への諮詢とその同意を要とした。(枢密院の職掌について規定した枢密院官制第6条には、「樞密院ハ左ノ事項ニ付會議ヲ開キ意見ヲ上奏シ勅裁ヲ請フ」対象の一つとして、「重要ナル勅令」が挙げられている)

 そうした勅令発布に必要な法律上の手続きをよく表している著名な例として、学校の日本史でも習う昭和金融恐慌(1927年)が挙げられる。この時若槻禮次郎首相は、鈴木商店の破綻に伴って経営危機に陥った台湾銀行を救う為、その損失を政府が行うことを企図した。

 この時彼は内閣で緊急勅令を起草し、枢密院に諮詢したがこれが否決され、内閣総辞職せざるを得なかった。これこそ、明治憲法下における勅令のあり方をよく表すと共に、単なる命令には留まらない重みを有していることを証明する大きな事例と言えよう。

 では、随分と回り道をしてしまったが、いよいよ本体の解説に入る。まずは「ポツダム緊急勅令」からだ。

 「ポツダム緊急勅令」(以下括弧書きで「緊急勅令」と表記する)は、1945年9月20日に公布及び施行された緊急勅令である。(正式名称・法令番号は既出につき省略)

 勅令の上諭と本文では、発令の目的を次のように示している。

「朕茲ニ緊急ノ必要アリト認メ樞密顧問ノ諮詢ヲ經テ帝國憲法第八條第一項ニ依リ「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ發スル命令ニ關スル件ヲ裁可シ之ヲ公布セシム」(上諭)

「政府ハ「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ聯合國最高司令官ノ爲ス要求ニ係ル事項ヲ實施スル爲特ニ必要アル場合ニ於テハ命令ヲ以テ所要ノ定ヲ爲シ及必要ナル罰則ヲ設クルコトヲ得」(本文)

 この命令は時の総理大臣東久邇宮稔彦王以下、各大臣の副署のもと公布され、12月8日に貴族院、18日に衆議院の承諾を得て1952年に廃止されるまで法律として存続した。

 内容は見ての通り、ポツダム宣言受託に伴って行われる連合国軍の日本占領において、その最高司令官の要求を日本政府が実施する為の法的根拠を与えるものである。この緊急勅令の規定に基づいて制定された各種の勅令、政令を「ポツダム命令」と総称することは先述した通りだ。

 また、同日に制定された「昭和二十年勅令第五百四十二号(「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件)施行ニ関スル件」(昭和20年勅令第543号)においては、ポツダム命令の種類を勅令・閣令・省令の三種類とし、それぞれに定められる罰則の限度を規定した。この二つの勅令に基づいて、日本政府はマッカーサー率いるGHQが指令する各種の占領政策と戦後改革を実施したわけである。

 それでは、続いて今度はその中身、即ち「ポツダム勅令」について見ていこう。

 まずは、実際に有効な物を調べるより前に、まずは大変著名な一つの「勅令」をご紹介しよう。

 「昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク就職禁止、退官、退職等ニ関スル件」(昭和21年勅令第109号)、俗に言う「公職追放令」である。

 「公職追放令」、と言えば聞き覚えのある読者の方々も多いはずだ。日本史の戦後改革ページでは必ず言及される著名な命令である。これに基づき、鳩山一郎、石橋湛山、野坂参三ら著名な政治家達が議員辞職に追い込まれ、また多数の旧軍・大政翼賛会関係者が公職から追放された。実はこの巨大な潮流も「勅令」に基づくものだったのである。

 日本の政治における「勅令」の影響の大きさが十分にご理解頂けたところで、三度目の正直、今度こそ現在も有効な「勅令」を調べていこう。

 まず、Wikipediaにおける、「現在も効力を有する「ポツダム命令」」の項目から、根拠法と共にe-Govで確認できた勅令のみを抜粋する。

・ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く大蔵省関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年法律第43号)によるもの

1. 閉鎖機関令(昭和22年勅令第74号)

・ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く経済安定本部関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年法律第88号)によるもの

1. 物価統制令(昭和21年勅令第118号)

・ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く法務府関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年法律第137号)によるも

1. 政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件(昭和20年勅令第730号)

 なんと、これだけである。実はこれらの内容を抜粋し、調査している間筆者はその余の少なさに、テーマを絞ったことを少し後悔していた。むしろ普通に「勅令」とすべきだったか、と言う心境である。だが、ここまできてしまったなら後は書き切るしかない。読者の方々には今少しお付き合いを願いたい。

 まずは「閉鎖機関令」についてだ。e-Gov法令検索で調べたところ、この勅令は間違いなく現在も法律として存続している様だ。しかも、なんと今年に至ってもまた改正の対象となっている。

 だが、その内容については煩雑でここで紹介するほど際立ったものは無い。一言で説明するのであれば、「終戦に伴って業務停止した機関(閉鎖機関)の債務や財産の清算のために必要な手続きを定めた勅令」である。

 では続いて、「物価統制令」についてだ。これに関しては読者の方々にも馴染みのある方が多いだろう。

 「物価統制令」は1946年に公布されて以降、幾度かに渡る改正を経て現在まで存続している。その内容については、まずは第1条、第2条、及び第4条と第7条をご覧頂こう。

「本令ハ終戦後ノ事態ニ対処シ物価ノ安定ヲ確保シ以テ社会経済秩序ヲ維持シ国民生活ノ安定ヲ図ルヲ目的トス」(物価統制令第1条)

「本令ニ於テ価格等トハ価格、運送賃、保管料、保険料、賃貸料、加工賃、修繕料其ノ他給付ノ対価タル財産的給付ヲ謂フ」(同令第2条)

「主務大臣物価ガ著シク昂騰シ又ハ昂騰スル虞アル場合ニ於テ他ノ措置ニ依リテハ価格等ノ安定ヲ確保スルコト困難ト認ムルトキハ第七条ニ規定スル場合ヲ除クノ外政令ノ定ムル所ニ依リ当該価格等ニ付其ノ統制額ヲ指定スルコトヲ得」(同令第4条)

「価格等ニ付他ノ法令ニ定ムル額又ハ他ノ法令ニ基ク行政機関及都道府県知事ノ決定、命令、許可、認可其ノ他ノ処分アリタル額アルトキハ之ヲ当該価格等ノ統制額トス」(同令第7条)

 即ち、終戦に伴う価格騰貴や、それによる国民生活の窮乏を防ぎ、社会秩序を維持し国民生活を安定させる為、それぞれ管轄する大臣が定めた、「騰貴の可能性がある」各種の品目・サービスを提供する料金について統制を加える、と言うものである。

 これによって、最高時はおよそ10000件の品目が価格統制の対象となり、インフレーションに苦しむ戦後の国民生活を支えていた。

 が、これも復興に伴って人々の経済状態が改善していくと、徐々に統制が緩められていき、2022年現在残っている統制の対象はただ一つ、「公衆浴場の利用料金」、すなわち銭湯の料金だけである。

 公衆浴場の価格統制については、次のような規定がある。

「この法律で「公衆浴場」とは、公衆浴場法(昭和二十三年法律第百三十九号)第一条第一項に規定する公衆浴場であつて、物価統制令(昭和二十一年勅令第百十八号)第四条の規定に基づき入浴料金が定められるものをいう。」(公衆浴場の確保のための特別措置に関する法律第2条)

「都道府県知事は、物価統制令施行令(昭和二十七年政令第三百十九号)附則第四項の規定に基づき、前条第一項に規定する公衆浴場入浴料金につき、その統制額を指定するものとする(後略)」(公衆浴場入浴料金の統制額の指定等に関する省令第2条)

 どうして現在でも、ある種時代錯誤的なこの勅令が残されているのか、と言えばそれは公衆浴場が単なるサービス施設ではなく、公衆衛生に寄与する重要な施設であると見做されたからである。

 例えば現実世界の日本では現行憲法に「健康で文化的な最低限度の生活」を保障することを明記し、その為に公的な機関が各種の施策を取る義務を定めている。

 公衆浴場の価格を統制し、またその存続に補助金を支給することは、まさしくそうした衛生的な生活をあらゆる国民に保障しなくてはならない、という国の理念の表れであると言える。

 物価統制令は、当時の切実な衛生状況が大いに改善した現在でも、国民生活を守る理念を引き継いで今も存続しているのである。

 では最後に、「政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件」についてまとめて、この記事を終わろうと思う。

 最後のこの勅令は、1945年、つまり終戦のその年に発布されたもので、文字通り戦前の法制下で犯罪として告発され、刑罰を受けていた人々を大赦し、名誉を回復するための規定である。

「別表一ニ掲グル罪ヲ犯シ本令施行前刑ニ処セラレタル者ハ人ノ資格ニ関スル法令ノ適用ニ付テハ将来ニ向テ其ノ刑ノ言渡ヲ受ケザリシモノト看做ス…」(政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件第1項)

(別表一は記事末に記載)

 別表には、治安警察法違反、要塞地帯法違反、陸海軍の刑法の一部違反など、戦前から戦中にかけて軍民を締め付けていた各種の法律が記載され、これらに違反したことで受けた判決が勅令により消滅することが示された。

 言うなればこの勅令は、戦中の大日本帝国の行いの清算と、戦後改革への最初のステップと言うことができるであろう。

 さて、ここまで筆者は戦前の法体系から三つのポツダム勅令について触れてきた。前回の記事では、我が国の近代最初の法律と言える太政官布告について特集したが、今回のポツダム勅令は言うなれば、「近代最後の法令群」とも考えられよう。

 これらは、君主制の最後の徒花として、戦後改革の鍵として、あるいは国民生活を支える根底として重要な役割を果たしたわけである、

 現在では実効性の無くなってしまった物も少なくはないが、これらの命令が現代の日本を形作るにあたって与えた影響は計り知れないものである。是非とも、空想国会の人々には、議論の糧として一度ご自身で、実際の法令や当時の時代背景に触れてみてもらいたい。

 文責 燃えない薪

記事末付録

・「政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件」別表一

一 刑法第七十四条及第七十六条ノ罪

二 刑法第八十一条乃至第八十九条ノ罪

三 刑法第百五条ノ二乃至第百五条ノ四ノ罪

四 戦時刑事特別法第七条ノ四ノ罪

五 陸軍刑法第二十七条乃至第二十九条ノ罪並ニ其ノ未遂罪及予備又ハ陰謀ノ罪

六 陸軍刑法第九十九条及第百三条ノ罪

七 海軍刑法第二十二条乃至第二十四条ノ罪並ニ其ノ未遂罪及予備又ハ陰謀ノ罪

八 海軍刑法第百条及第百四条ノ罪

九 治安維持法違反ノ罪

十 前号ニ掲グル罪ト性質ヲ同ジクスル旧法ノ罪

十一 国防保安法違反ノ罪

十二 軍機保護法違反ノ罪

十三 昭和十二年陸軍省令第四十三号軍機保護法施行規則違反ノ罪

十四 昭和十二年海軍省令第二十八号軍機保護法施行規則違反ノ罪

十五 軍用資源秘密保護法違反ノ罪

十六 昭和十四年陸軍/海軍省令第三号軍用資源秘密保護法施行規則違反ノ罪

十七 昭和十九年運輸通信省令第八十一号運輸通信省軍用資源秘密保護規則違反ノ罪

十八 昭和二十年閣令第十三号内閣総理大臣ノ指定ニ係ル軍用資源秘密ノ保護ニ関スル件違反ノ罪

十九 前二号ニ掲グル罪ト性質ヲ同ジクスル旧令ノ罪

二十 要塞地帯法違反ノ罪

二十一 明治二十三年法律第八十三号違反ノ罪

二十二 防禦海面令違反ノ罪

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